今も昔もこの人はいつもイライラしてカリカリしてそしてシニカルで、
その時々のシチュエーションをまったく楽しんでいない。
そんな(タレント・エッセイスト)氏よりは市井の筆者の方が100万倍もシヤワセだ。
でも世の中は「需要と供給」でなりたっているので、
この女性(タレント・エッセイスト)氏のコラムがシリーズを
重ね、連載が続いているということは、彼女のコラムを
興味深く読む読者が相当数存在するということになる。
こんな『私はアタマがよくて機転が利くのよ。それにくらべてこれら
オオバカたちのやることと言ったら、ああイライラ・カリカリ!』コラムの
どこが面白いんだろう?と不思議に思ったが、ふと気づけばその
「前シリーズ」を筆者はけっこう読んでいたことに思い当たった。
『けっこう読んで』いた筆者は当該コラムに対して「こういうの、
あるある。」という共感を抱いていたはずだ。ソラオソロシクなって
「前シリーズ」のバックナンバーの連載時期を調べてみると、2007-8年ころ。
すなわちたかだか4、5年前の筆者はこの「イラ・カリ・コラム」に対し
一定の共感を抱きながら読んでいたわけだ。
日々成長し、趣味・嗜好・志向・思考法や観念が変わっていく筆者は、
将来の時点では今とはまったく違う人格になっている。だから当然、
のこととは言え、4、5年前の人格ともすでにしてまったく違ってしまって
いることを思い知った。
卑近な例で言えば、「昔の写真や作品は、総じて恥ずかしい」みたいな
感覚だ。まったくもって昔の筆者は(当たり前だが)今にもまして
未成熟で、修行が足りん。人格の陶冶がなされておらん。
などと言ってみたところで意味はない。人間は常に「成長途上」だ。
日々を生活を大切にする。一日一日をシヤワセに生きる。
それで、いいではないか。 (了)

